第一話

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 このまま家に帰らずずっとここにいたら、楽になれるのではないかしら?  ぼんやりと考えていたそのとき、呼ぶ声がした。 「おーい、そこの可愛いお嬢はぁーん」  見ると、すぐ脇の田んぼの泥の中にに、左足を膝まで突っ込んでじたばたしている若い男がいるではないか。  それは、やせ形の体に泥まみれの着流しをまとい、両の手にはこの季節にそぐわない厚い革手袋を嵌めた、狐顔の男だった。  そのあからさまな怪しさに怯え、須磨子はじりと一歩下がった。すると、狐男は少し哀しげに眉を下げた。  ちくん、と心が痛んで、生来の人の良さが、モダンガァル思想と合わさって顔を出す。  いけないわ、須磨子。見た目で人を決めつけるだなんて。現代婦女子にあるまじき愚行だわ。見た目で差別して、何かしら困っている様子の人を見捨てるなど、決してやってはいけない行為だわ……。  彼女はそろ、そろ、と、男に近寄りおずおずと尋ねた。 「……どうか、なさったの……?」
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