夜歩く

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 夜空に咲いた大輪の花火が、町を鮮やかに照らす。  人々はより近くで見ようと、みなそれぞれ会場への道を急いでいた。  年端の行かない小さな兄弟を、若い両親が手をつないで連れていく。芽生えて間もない恋に心をときめかせた男女が、肩を寄せあって親しげに進んでいる。  そんな川沿いの土手を、神崎清香は一人で歩いていた。  腰元に花火がデザインされた、藍色の浴衣を着ている。その涼やかな出で立ちは、同時に夜の闇に溶けこむかのごとく、憂いを帯びて沈んでいる。だが、彼女に特別の注意を向ける者は一人もいない。みな、眼前の花火の華やかさに気をとられているのだ。  足早に追い抜いていく人々に暖かな視線を投げながら、清香は時おり明るく染まる空を見上げる。敵意のない笑顔を作ることには慣れていた。だが穏やかな表情とは裏腹に、その思いは遠い過去の記憶をたどっていた。  ――ああ、兄さん……  彼女が思い浮かべるその人物は、この一本道のどこにもいない。目を閉じて、再び開いて見渡してみても同じ。たとえ彼女がどれほど望んだとしても、その願いがかなう日は永遠に訪れないだろう。それは彼女自身もよくわかっていた。  もし、と思う。十二年前の悲劇がなかったら。両親が健在で、兄とともに家族四人で平和に暮らすことができていたら。  今日という日は、どんなに違っていたことだろう。  この十二年間、身体は日々の糧を求めて動き続けてきた。現実という名の巨大な川に流されるように、ただこの世に存在し続けることだけを無意識に考えて生きてきた。  だが、心の中の時計はずっと止まったままだ。あの日から動いていない。  ――兄さん……どうして?  口に出せないその声を、清香は頭の中で何度も響かせる。十二年前の光景が鮮明によみがえり、彼女の思考をはるかな過去へと連れ去っていく。
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