隻眼

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「先生が入院されてた間もそうでした……お薬もちゃんと飲むし、普通の会話も続けられたし。閉鎖病棟にいなくてもいいんじゃないかってくらいしっかりしてて。 ……あのときだけなんです。あのときだけ、六宮さん怒っちゃったんです。だから……」 「分かった分かった、もう何でも良いから泣くなよ」 笈川は、整えられた小暮の黒髪をぐしゃぐしゃと掻きまわした。 「面白い話をしてやろうか」 何かを思い出すように天井を仰いだのち、にっと笑って人差し指を立てる。 「神話や伝説なんかには、なぜか隻眼がよく登場するんだ。オレみたいなのもいれば、最初から一つ目のやつもいる。 ギリシア神話のサイクロプスなんか、君でも知ってるだろう」 「……はい」 爆発したような乱れ髪のまま、小暮は鼻をすすった。 「この傾向は世界中でそうなんだ。日本神話にも、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)ってのが出てくる。 神様だけじゃないぞ、魚とかヘビとか、妖怪にだって出てくる。一つ目小僧やカラカサお化けなんか有名だよな。 なんでだと思う?」 「わかりません……どうしてですか?」 尋ねると、笈川は笑いながら言った。 「この謎な、まだ誰も解けちゃいないんだ」 いたずら好きの子供のように喜ぶ男を見て、ようやく小暮が笑った。 「全然面白くないです」 「厳しいねえ」 「でも……ありがとうございます」 手の甲で涙を拭う。 しっかりと涙を流せていた自分の目を実感し、また目頭が熱くなった。 「何でこんなことになっちゃったんでしょう。僕があのとき、先生と一緒に閉鎖病棟に行かなければ……きっと今頃は……」 「まぁたそんな顔して……もういいから忘れちまえ。な。全部忘れるんだ、いいな」 なんとか涙を堪えたものの、まだ唇は強くかみ締めたままだ。 笈川は立ち上がり、軽く息を吐いた。 「君、しばらくはここで休んでたほうが良いな。悲しい顔で患者さんの前に出ちゃ、患者さんにも悪いしね。 診察してくるから、元気になったらまたオレんところに来な」 言ったあと、左手の腕時計を見る。 残された昼休みはあと三分だ。 「ああ、飯……」 前髪を掻きあげ、笈川は食堂に残された定食を惜しんだ。 そんな彼を涙の向こうに見ながら、小暮は、ひとつの疑念を抱えていた。
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