家出の夜に

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 何もかもがうまくいかなかった。  お気に入りの女の子が久々に店に来たかと思えば、フランスパン片手に「わたし、来月結婚することが決まったんです」なんて言って、にこにこ笑顔で俺に代金を支払い、婚約者を連れてすたすた去っていってしまうし、今までそんな彼女にうつつを抜かしていたせいで、奉公先のパン屋では心配の連続で、とうとう追い出される始末。  いらだち紛れになると思って、酒場で賭けごとに熱中していたら、いつのまにやら財布には金がなくなっていた。  一晩泊めてくれと馴染みの友人に声をかければ、こんな時間に冗談はやめてくれと断られてしまう。それもそうか。もう真夜中もいい時間だ。  奉公先を追い出されたものだから、帰る家がない。  俺はひとり、寒くて人気のなくなった街中をうろうろと、行くあてもなく歩き続けた。これからどこに行けばいい。  向かいから、一匹の犬がやってくる。しゃがんで、「チッチッ」と呼んでみたが、犬は俺のことなどまるでいないものかのように無視をして去っていった。  ああ、犬にまで逃げられるとは。首輪をしていたから、どこからか逃げてきたのか。家にいたほうがきっと幸せだぞ、とぼやいてみせた。  仕方がないから、橋の下で、心底冷えた身体を休める。  奉公先の頑固オヤジからは、荷物は後で送ってやるよと怒鳴られたが、断って引き取ればよかった。どうせたいした荷物じゃない。  それに、どこに送るっていうんだ、まったく。追い出された身でのこのこと実家に帰れるわけがねえじゃねえか。  コートを身体に巻きつけて、ただただ小さな川の流れを眺める。月明かりできらきらと川面は輝いていて、少しだけ心が洗われるようだが、洗われたところで今の俺の状況が良くなるわけでは当然ない。  それにしても、なんて寒さだ。くそ、このままじゃ死んじまうぞ俺。
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