家出の夜に

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 その時、上から何か大きな布が落ちてきた。ひらりと舞うように落ちる布を、立ち上がって掴み取る。掴んだそれは、触り心地の良い毛布だった。  不思議に思って空を見あげると、橋の欄干に誰かが身を乗り出してこちらをうかがっている。  今夜は満月で辺りは明るく、俺にはその人物の顔がよく見えた。いつもの見慣れた顔。俺をにやりと見おろしている。 ――こいつ。  やつは奉公先の一人娘で名前をティナ・ベイカーといった。父親ゆずりの頑固もの。やっかい極まりない女。 「いったい何のつもりだよ」  俺は橋を見あげて言った。 「お父さんが捜してこいって。寒いだろうと思って持ってきたのに。そんなこと言うなら、返してよ」  欄干から長い髪が揺れている。  不満げな顔で俺に向けて届かない右手を伸ばした彼女を、そっくりそのまま睨み返す。こんなに寒いのに、誰が返すものか。 「どうせなら、金でもよこしてもらいたかったよ。給料もらわずに出ちまったじゃないか」 「支払いは来週でしょう。戻ってこないなら給料はなしよ。食事作って待ってたのに、ちっとも帰ってこないんだもの。帰らないなら、食事もなし」  ふんと俺は鼻をならした。コートの上から毛布を羽織って、くるまりながら橋まで上がる。 「あの子のどこがそんなに良かったのよ。わ、ちょっとお酒臭い! 明日も朝早いんだから、寝坊したらまたお父さんに怒鳴られるからね。もうまったく、帰ったらシャワー浴びてよね」  問答無用で腕を引っ張られる。俺はただただ従うだけだ。 「なぁ、あんなやつより、俺のほうが良い男だよな?」  半歩後ろから声をかける。  知らない、と怒る彼女の顔は、こんな時だけ都合良く、暗くてたいして見えなかった。 「あったかいスープね。ベーコン入りで頼むよ」 「あんた、相当酔ってるでしょ? 調子乗ってると、また追い出されるからね。次は私、知らないよ」  はいはいと言って、後を追う。なんだか今朝の出来事なんて、どうでもいいように思えてきたから不思議だった。  おい満月さん、聞いてるか。  よおく見てろよ、俺は次こそもっと良い女の子を――「ハーックション」  ああ、くそ寒い! 「家出の夜に」おわり
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