それから

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インフラ関係では、川から水を引いて来たり、汚水を一か所に 集めて発酵させたり、井戸を掘らせたりした。治水や圃場整理も 測量により行われた。外敵から守るため、車輪を使って、 石垣を築いたり、投石器といった、少し高度な武器も作った。 また、二頭立ての戦車部隊も作った。風呂に入るために、 温泉を見つけ、共同浴場も作った。 更に印刷機を作り、紙幣を作って、近隣の村との交易を行った。 税を課し、そのお金で、更に商業で領土を広げて行った。 建物は大きな物は、鉄筋ではなく、竹筋の煉瓦造りとした。 砂鉄から鉄器を作り、金鉱から金も採取できるようになった。 10年もすると、少し近代的な街になってきた。 ここに来て一つの問題が持ち上がった。それは、大和朝廷との 繋がりというか、圧力である。 兵士の数では、圧倒的に彼らが勝るが、火力では、こちらが 優勢だった。何しろ、火器があった。一計を案じ、 現代の天皇のように、象徴として位置してもらうために、 一大軍隊(戦艦含む)とと門い上洛し、他の諸侯の前で、 デモを見せつけることで、征夷大将軍の位を得た。 当に、わが世の春といった状況だった。
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