天職との出会い

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父はすぐに会社を立ち上げ新しい優秀な人材を獲得して、がむしゃらに働いて有限会社にし、今治造船所以外全部の造船所で仕事を見つけてきて働いた。 波止浜造船所と浅川造船所と来島ドックに、下請け会社も頼んで来てもらい50人以上の人を雇い年商8000万円以上稼いでいた。 昭和50年代だから今だと1億円以上の年商だ。 父は豪快な人で社員を連れて1日の飲み代を50万使っていた。 日曜日が休みになると、土曜日の晩は高給寿司やステーキを食べに連れて行ってくれた。 正月になると下の兄弟家族と私の家族の24人連れて中華料理のコースを食べに連れて行ってた。 私はよく川に落ちていて、父が出張から帰る日に4メートル下の川に自転車に乗ったまま落ち、着地してから倒れ少し擦りむいたくらいで、出張から帰ってきていて、すぐに自転車に乗せられ病院まで連れて行ってくれてた事があった。 私は部屋ででんぐり返しをして、ちょうど窓が開いていたのでそのまま川に落ちて知らない人に助けてもらって、窓が閉まってたらガラスを割り大ケガをするところだった。
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