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ダメだ、これ以上考えると嫌な方向に脱線しそうだから頭を切り替えなきゃ。
私はレモンティーを全部飲みきって、ピアノが置いてある部屋へと向かった。
何か一曲弾いて、心を落ち着かせよう。
ゆっくりと鍵盤の上に指を乗せて頭の中でイメージするのは、ヨーロッパの草原。
清々しく、心地いい風を感じながら色をつけていく。
建物は、木材で出来た小さな小屋と水車だけ。
あとは牛と羊、花と木と青い空があれば美しく仕上がる。
ポーン、とB♭の中音を1つ鳴らしたら、右手が踊り始めた。
優雅に美しく、だけどどこか儚くて今にも消えそうな音を紡ぐ。
時折、低音に高音が優しく包まれて、鉛筆のような音が生まれた。
大丈夫。
今はまだ、音楽を思いっきり楽しみたいだけだから余計なことは考えない。
恋愛とか、私の気持ちとか、今は何も考えたくない。
ただ、私が紡ぐ音楽で誰かを笑顔に出来ればそれでいいの。
誰も、傷つけたくないだけだから。
ゆっくりとペダルから足を離して指をそっと鍵盤から膝の上に置いた。
「……素敵ですね」
と、誰も入ってきた気配なんてなかったはずなのに、感嘆の息を漏らした声に頭を上げた。
「ハンディさん、いたんですか。気付きませんでした」
「勝手に申し訳ありません。ですが一度、神崎様のピアノを聞いてみたかったのです」
「そうだったんですか!言ってくれれば、もっときちんとした奴弾いたのに」
「いいえ、素晴らしい演奏でした。神崎様の心が音になって、神崎様自身が音楽のように」
キレイに固められていたシルバーブロンドの髪は、お風呂に入ったことで自然な状態に。
青みがかかった灰色の瞳は、優しく細められていた。
「ありがとうございます。そろそろ、みんなを寝かせないといけませんね。明日は瑠璃ちゃんが行きたいところに行きましょう」
「はい、恐れ入ります。瑠璃様は本当に神崎様とお会いできるのを楽しみにされていました」
「どうしてですか?」
「玲央様が一度ロシアに帰って来た時、神崎様を『日本の大和撫子で俺の飼い主』と申されてました」
……ん?
ニホンノヤマトナデシコデオレノカイヌシ?
えーっと、きっと玲央は大和撫子をしっかり理解できていないと思われる。
しかも俺の飼い主って……間違ってはいないけど、自分で言っちゃってたんだね。
てっきり瑠璃ちゃんが勘違いしているだけだと思ってたよ。
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