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ある時社内で休憩中にたまたま会い、コーヒーをおごると咲子は嬉しそうに「吉川さんは優しいですね」と言っていた。
それを社交辞令だと分かっていながらも、咲子に話したくなって、思わず口を開いていた。
今まで付き合った人に、優しすぎると言われ振られたことが何度もあると。
だから、自分の優しさなど人には要らない物なのだと。
すると咲子は目を丸くして、驚いたように言った。
「私は人を思いやれる心が、人として一番大事なものだと思います。優しすぎて、何がいけないんですか。吉川さんは、一番大事なものを持ってるのに」
それを聞いた途端、世界が変わったようだった。
今まで真っ暗だった道の先が、初めて見えたような気がした。
時が経ち、気がついたら自分の世界には咲子しか居なくて、プロポーズをしていた。
籍を入れたのは、事故の3ヶ月前だった。
何もかもが、これからだった。
やっと信じられる人を見つけたのに、1年も一緒に居ることが叶わなかった。
何も認めたくなかった。認めないことで、何かが変わるんじゃないかと思った。
事実、神崎は今まで俺に無理に現実を見せつけることは無かったし、自分自身も咲子が居ないショックを和らげることが出来ていた。
しかし、いつまでも現実を認めないことは人として許されないのだ。
現実に生きる者として、現実を認めないことは死んでいるのも同じだった。
「あなたも、遺族の方ですか」
後ろから声が聞こえて振り返ると、70歳ぐらいの男性が立っていた。
はい、と答えると隣へやってきた。
「そうですか。突然話しかけてすみませんでした。一年前の式では、あなたをお見かけしませんでしたから」
「えっ……何故知っているんですか」
「私はね、この事故の遺族の方1人1人と話しているんです。何と言いますか、私なりの気持ちの整理の一環でしてね。いきなりこんなこと言うと失礼ですが、お話の相手させてもらってもよろしいですか」
「えぇ、大丈夫です。あの、ではあなたも……」
「妻を亡くしましたよ。とても元気だったんでね、この歳とはいえ、まだ十分に覚悟出来てなかったもんで……大切な人を失くす覚悟なんて、そうそうするもんじゃないのにね」
「僕も、妻を亡くしました」
「そうですか……私たちはもう歳だから何だが、君はお見かけするところまだ若い。さぞ辛かったでしょう」
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