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「うっ・・・。」
完全に彼のペースはまったと思った。
少しだけ逡巡してから小さく頷くと、その人は笑みを深くした。
「俺は高藤肇(はじめ)。」
「英実(えみ)です。」
「じゃあ行こうか。」
そういうと、私のカバンを持って歩き出してしまう。
『すごいマイペースな人・・・。』
面食らいながらも、私はあわててその背中を追って駆けだした。
◆◆◆
それから一時間後・・・。
私は想像とは異なる『肇さんの職場兼自宅』で暖かい日本茶を頂いていた。
『建て替えたばかりなんだよ。』と肇さんは笑いながら言っていたけれど、こじゃれた外観の5階建てのビルは、1階~2階がギャラリー、3階~4階が作業場、5階が自宅で、町工場的なものをイメージしていた私は目が点になってしまった。
ぼうっと座っていると、カラリと良い音がして、リビングの扉が開かれた。
「スカートのシミ取れたよ。」
「ありがとうございます。わ、すごい綺麗になってる。」
肇さんは向かいの席に腰掛けながら嬉しそうにほほ笑む。
「ああ。元弟子が独立して刷毛を作ってるんだけど、それを使ったんだ。」
「え、刷毛でシミが取れるんですか?」
「そうだよ。」
「・・・知らなかった。」
「はは、英実ちゃんはまだ若いからしょうがないよ。そいつはさあ、筆師になる修行を途中で辞めた奴なんだ。でも今はきちんと自分の食い扶持を稼いでいてほっとした。」
「すごい人ですねえ。」
「うん。」
そう言うと肇さんはにっこりと笑う。笑うと普段から優しそうな目が、更にやわらかい光を宿した。
『やさしそうな目』
こんな深くて優しそうな目をした人は、今まで周囲にはいなかった。
思わずその瞳に見入っていたせいか、私は肇さんが机の上に何かを置いたことに気が付かなかった。
肇さんが意味深にほほ笑む。
「君がコンビニの前にいた理由はこれ?」
「?」
「だから、これが君が座り込みしてた理由?」
肇さんの視線の先を辿ると、そこには一枚の紙が置いてある。
そこには数字が羅列されていて・・・・・
「・・・模試の結果じゃない!」
「あはは。」
「『あはは』じゃない!ちょっと返して~!」
伸ばした手が紙に触れる直前に、ひらりと肇さんが奪ってしまう。
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