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「よお」
「……ん」
樹齢を重ねた木々が鬱葱と生い茂る山林の中。
その中でも一際大きな杉の木にもたれたままの久遠に、私は歩を進めながら小さく頷いた。
いつもの事ながら、この男の元に戻ってくると、長い長いため息が出る。
古巣に帰ったような安心感と、すでに痛みなど伴わなくなった虚無感のせいかもしれない。
この山の、この杉の木の袂。
それが二人で決めた待ち合わせ場所。
立ち止まってぼんやりと杉を見上げる私の長い黒髪と着物の裾を、湿った風がさらっていく。
そんな私に、久遠は変わらぬ笑顔で変わらぬ問いを投げかけた。
「今回はどうしてた? 確か東の方へ行ったんだよな」
「ある村で機織りを覚えた。それから……一人の男と暮らした」
「……そうか」
私の答えに苦笑いをして、久遠が片手を差し出す。
その手に自分の手を重ねると、思ったとおり温かい。
「俺は南で戦に明け暮れていたから、そういう事はなかったな。……今でもそいつはお前を待ってるのか」
なるほど。
あまり手入れのされていない散切り頭も、足まわりの良さそうなたっつけ袴姿も戦地に赴いた名残なのだろう。
「ううん。流行り病で死んでしまった。でも優しい……、優しい人だった……」
思わず込み上げた涙で、視界に映る久遠の顔が滲む。
多かれ少なかれこういう思いをするのはわかっているのに、それでも時折、私は久遠の元を離れる。
引き止められることもない。
「少し……疲れた。しばらく久遠と一緒に居る」
「俺の都合は聞かないのか」
「そっちに待つ者がいるのか。ならばいい」
それでも私は、久遠の手を掴んだままだった。
「はは、冗談だ。今回そういう事は無かったと言っただろう。ちょっと意地悪してみたかったんだよ。悔しいけど、お前が戻ってくると嬉しい。やっぱり俺の居ないところでお前に何かあったらと思うと心配だからな」
「私に何があると言うんだ」
苛立った声を上げる私に、久遠は静かに頭を振る。
「そんな言い方をするな。……たとえ離れて暮らしても、お前が在るなら俺は一人じゃない。ひとりぼっちは淋しくて……怖い」
その言葉はかつて、私が聞いて答えてもらえなかった問いの答えだった。
(一人……。だからこの男は……)
それは今の自分にも当てはまる言葉。
その遠く、身震いのする響きに、たまらず私は久遠の胸に額を押し付けた。
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