不自由な巫子

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十和子は自分と同じ名を持つその泉に向かい、静かに手を合わせた。 その隣では久遠が、華奢な背中をピンと伸ばし、同じように手のひらを合わせ目を閉じている。 毎朝、泉に向かい一日の平穏を祈祷するのも、神仙の巫子である十和子と久遠の大事な役目なのだ。 しばらくそうしていると、二人の背中に世話役のキヨ婆のしわがれた声が小さく届いた。 「ご祈祷が済みましたらこれを……」 二人の前に、朱塗りの盃を二つ載せた膳が進められる。 「なんだよ、これ」 久遠が、やっと声変わりし始めたばかりの掠れた声でいぶかる。 「今宵の儀式の前に行われる、慣例の清めにございますれば……」 キヨ婆は同じ朱塗りの片口から、二つの盃にうやうやしく透明な液体を注いだ。 それに十和子が先に手を伸ばす。 「十和湖の湖水だろう。これを飲む事で潔斎となり、身も心も清められて今宵に備える。それにしても塗りの盃とは……まるで祝言のようじゃ」 その言葉に久遠はポッと赤くなり、自分も慌てて盃を手にした。 「――――ほう、祝言ですか。当たらずとも遠からず、と言ったところでしょうな」 背後から聞こえた重々しい声に、十和子は気だるく顔を巡らせる。 いつのまにか背後の座敷には、長老をはじめ、今日の神儀を取り仕切る村の重鎮の爺婆が襟を正して座していた。 「我らが神仙、十和様は男女の双頭神。巫子である十和子様と久遠様は、云わばその花嫁花婿にござります。今宵の巫子継ぎの儀で、お二人はようやく神仙様と一つになられ……」 「御神託を賜れば、晴れて我らは自由の身。言い換えれば、次の巫女と巫子の為に席を空けよという事じゃ。祝言を挙げたその場で後釜を所望するとは、飽きっぽい神仙様よの」 皮肉に笑う十和子に、長老達はこぞって皺の刻まれた額を畳に擦り付けた。 「滅相もない……。御神託により次の巫子様方の所在が判明致しましても、十和子様と久遠様の御威光は、この先もなんら褪せることはございません。お望みなら何も村を出ずとも、今まで通りお世話させて頂きます」 「黙れ! こんな村に、なんぞ未練などないわ!」 十和子は手にした湖水を一気に煽り、盃を長老に投げつけた。 カツンと朱塗りの盃がその眉間に当たり畳に転げ落ちる。
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