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《…なあに、陽くん》
しん、とした室内におばさんの不機嫌な声が響いて、一瞬身体が硬直した。
なんでハンズフリーにしてんの。と、咎めるように黒を見ると、くつくつと喉を鳴らして笑ってる。このやろう、確信犯か。
手招きされた俺は、窓に寄りかかった黒の側へ行く。その間にも絶えずおばさんの声は流れていた。
《ちょっと何?今日は家族水入らずって》
「あー、どーもォ」
《え、》
「こんにちはァ、水沢さん。―…ハジメマシテ」
《だ、誰よっ!いたずら?!》
予想外のことにも、果敢に声をあげるおばさんに苦笑いを浮かべる。やっぱりおばさんにして正解だったな。
「…単刀直入に言わせてもらうとォ、陽は俺が攫ったから」
そう言って、黒が心底愉しそうに笑う。
電話の向こうは沈黙していた。
と、思えば。
《あなた。ちょっと、出ましょう。夏樹はここで待っていて》
その声に、おじさんが何やら答える声がかすかに聞こえてくる。その後、音がしばらく止んで、どこかへ移動しているのが分かった。
そういえば、夏樹もいたんだな。とぼんやり考える。最後まで理解できなかった、俺の義兄。もう会うこともない、とわかっていても何も感じない俺は冷たいんだろうか。…静寂の後に、通話口におばさんが戻ってきた気配がした。
《…もしもし?それで、陽くんは今どこに》
「言うわけねェじゃん。あ、警察に連絡してもムダだからァ。俺がいるとこ、逆探知できないように電子回路作ってある場所だしさァ。」
《……》
え、マジで?と黒を伺うも、平然としている。
本当ならますますここって何の会社なんだ。嘘ならそれはそれでよくしれっとしていられるな、と感心する。
《…どうすればいいの》
「2000万円用意してくれるゥ?」
《2000万!!?無理よそんなお金!!》
ヒステリックに喚くおばさんの声に、思わず耳を押さえる。嘘つけよ、夏樹に先月買ったピアノは4000万だったぞ。
ピアノに負けた。
すると、おばさんの声を無言で聞いていた黒が、ゆっくりと口角を持ち上げる。
浮き世離れ。笑った黒はますますそういう言葉が似合う。不意に不安になって、隣にいる存在の体温を確かめるためにそっと黒の手に触れた。
そんな俺に目を和らげる黒は、確かに、いる。夢のような現実。
指を絡めるように握り返されて、なぜかすごく嬉しかった。
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