~工藤 潤一の場合~

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 思えば俺は若い頃から仕事に必死で、あまり両親のほうを振り返ったりしなかった。今は家族を確実に養わなくては、親孝行はその次だ、という思いが強かったんだと思う。  そしてあのとき、日本が不況に陥った頃にそれまでずっと勤めてきた会社を辞め、職種を変えようとした。  そうして手にしたのが土地の測量系の仕事だった。  しかしその職場は隣の県にあり、毎朝6時に県境をまたいでは仕事をし、夜の11時半にまた県境をまたいで帰るような仕事で、そのくせ給料は安かった。それでも稼ぎがないよりはマシだと思ってしばらくは勤めたが、今度は体がもたなくなった。  なにせ月曜から金曜まで働いて、土曜も朝から夕方まで働かされた。お陰で一時期うつっぽくなったのは言うまでもない。  遂にある時、出勤時間を遅らせてほしいと願い出たが聞き入れられなかったので、結局そこも辞めた。
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