シェルブール大学の忘れ傘

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「……えー、我々雨傘というものは、前回この講義にて述べた通り、雨を防ぐ目的により生まれ出でたのでありますが、しかしそれゆえ、とかくヒトから忘れられやすい存在となってしまうのですね。 だって、一旦雨が止んで晴れてしまえば、我々はヒトにとって必要がない。 これも前回講義でも述べたかと思いますが、とかくヒトは、自分に必要がない、と判断した物品を忘れがちな性質を持つ生物です。 人のその性質が、諸君の偉大なる先輩である雨傘部初代学部長、彼に起こった、3年もの間、共通教育2号館のもの寂しい傘立てに放置されるという惨劇、それをはじめとする、忘れ傘たちの悲劇を生んだわけです。  当時、我々雨傘の体は未発達な部分が多く、一足歩行やホッピングが不可能でした。足の骨などに、柔軟性や強度が足りなかったのです。  歩行や跳躍が不可能ということは、自律的な移動手段がないということです。また、その時代にはまだ、人間との対話言語も確立されていませんでした。  それゆえに、幾本もの雨傘が、忘れ去られの被害に遇いました。  しかしながら、ヒトのその性質が逆に、我々の進化を促したとも言えるでしょう。ヒトに忘れ去られないために、我々はまず、自身の体表面の色や紋様を自在に変化させるという、素晴らしい能力を身に付けるに至った、そういった見方もできるわけですから。 余談ですが、我々の近縁種である日傘には、この能力はありません。彼らは生まれたままの色・柄で一生を過ごすしかないんですね。この性質の違いは、ヒトによる使用頻度の差ではないかという説もあります。 えー、それはさておき、最近では、この能力を違った方向に生かす者も出てきました。「擬態能力」として使うのです。カエルのように岩に同化したり、カメレオンのように透明になったりするんですね。能力をそのように使用することにより「ニンジャ」として敵地に潜入したりするわけです。また、骨と膜を強化して肉体改造を行い、ステルス衛星を覆う『笠』として活躍する者も……」
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