織田信長関係    2013/6/13~

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【2013/7/15】 今日は、海の日ですね♪ 唐突ですが、クリエ名を芹奈から、 マリンテラスに改名しましたm(__)m 草薙剣の続き。 広辞苑で引いてみました。 『草薙剣(くさなぎのつるぎ)。 三種の神器の一。天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)の別称。 日本武尊(やまとたける)が東征の折、 これで草を薙ぎ払ったという。 (クサは臭、ナギは蛇の意で、八岐大蛇から出た剣の原義か)』 とありました。 草薙剣と天叢雲剣って、同じモノだったんですね。 知らんかった…… 無知で、スイマセンm(__)m 以下は、ほぼウィキペディア参照です。 『東征。 日本武尊が西方の蛮族(蛮族…クマソのコトよね(=_=))の討伐から帰るとすぐに、 景行天皇は重ねて東方の蛮族の討伐を命じる。 日本武尊は伊勢で倭姫命より草薙剣(天叢雲剣)を賜る。 古事記 西方の蛮族の討伐から帰るとすぐに、景行天皇は重ねて東方の蛮族の討伐を命じる。 ヤマトタケルは再び倭姫命を訪ね、父天皇は自分に死ねと思っておられるのか、と嘆く』 「日本書紀」では、ヤマトタケルのお兄さんがヘタレで怖気づいたので、 代わってヤマトタケルが自発的に征討におもむく。 古事記と日本書記では差があるそうな…(@_@;) 『「古事記」では、ヤマトタケルはまず尾張国造家に入り、美夜受媛(宮簀媛)と婚約をして東国へ赴く』 尾張という言葉が、当時からあったのね。 熱田神宮も、ヤマトタケルが死んだ時にはあったと…… まぁ、いいや。 『草薙剣 日本武尊が帯びた剣は、草薙剣(古事記では草那芸剣)といわれ、 出雲でスサノオ尊がヤマタノオロチを倒した際にその体内から出てきたもので、天照大神に献上され、天孫降臨に伴い再び地上に戻ってきたものである。 日本書紀の注記によると、元は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という名で、 日本武尊が駿河で野火攻めに遭った時、この剣で草を薙ぎ払って難を逃れたことにより、 “草薙剣”(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになったとする。 ただし、本文では一貫して草薙剣と表記され、途中で名前が変わるわけではない。 なお、草薙剣はこの後、ミヤズヒメの元、尾張の熱田神宮にて祀られたが、 天智7年(668年)僧道行に盗まれ、その後は宮中に留め置かれた。
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