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「正直、岡山の片田舎で育った純朴なお前にとって、都会っ子の彼女は高嶺の花だと思っていたが」
なんでも思った事を口にするのが森次の長所でもあり短所でもある。しかし、だからこそ、こうして友人関係を続けていけるのかもしれない。
「それも過去の話って事さ。昇進決まったんだって? 近い内にオゴッてくれよ、警部補殿」
「普通、昇進祝いしてくれるのが筋なんじゃないの?」
苦笑しながら言い返すと、森次は「その内な、その内」と言ってのける。全く期待出来ないので「今世紀中に頼むよ」と付け加えておいた。
「お前は無理し過ぎちまう所があるからな。生き急いでるっていうか。もう独り身じゃなくなるんだ、あまり心配かけさせんなよ?」
「分かってる。それじゃあ、また来週」
笑顔で研究所から出た瞬間、小走りで廊下を進む。一番近いトイレへ駆け込むと、中に誰もいない事を確認して袖をまくり、勢いよく放出される冷水に両腕を突っ込ませた。
しばらくすると熱は引いてきたが、依然として吐き気と耳鳴りは消えない。火傷の跡が疼き、皮膚の中で暴れ狂う蟲のように感じる。
――まだ自分には早過ぎたのかもしれない。けれど、結婚式までに全てを清算しておかなければ……乗り越えなければならないんだ。
頭から水をかぶり、脂汗を流す。鏡に映し出された自分の顔は真っ青で、森次の言う通り、確かに酷いものだった。
「…………まるで、死人だな」
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