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自嘲気味な笑いを一瞬顔に浮かべた後、尊はドアに向かって歩き出した。
「待てよ!まだ、話は終わってないだろ!」
「終わってるさ。
亜希は返さない。
僕は離婚しない。
亜希は僕の妻で、譲の母親で、僕の家族だ。
僕には夫として、父親として、僕の家族を守る責任がある。
お前と違ってね。」
思わず叫んだ俺とは対照的に、尊は振り向きもせず出口に向かいながら、淡々と言葉を返してきた。
そして、ドアの前でゆっくりと振り返った。
「だから、お前に亜希は渡さない。」
言葉とは裏腹な、これ以上無いって位の優しい笑顔が尊の顔に浮かんでいた。
その笑顔に魅せられ、俺は一瞬言葉を返す事を忘れた。
いつだって、俺の中で母に繋がる存在は尊だった。
こんな状況であるにもかかわらず、俺は尊の中に、いつも、母を見つけてしまうんだ。
…なぜ、こんな事になったんだろう?
…なぜ、俺は尊を『兄さん』と呼べないのだろう?
尊は黙っている俺に背を向けて、ドアを開けた。
「…お前の不幸って何?」
尊の足が止まった。
「俺が生まれてから始まったお前の不幸って…何?」
尊は黙ってドアの外に消えた。
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