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「櫻木様。」
声を掛けた瞬間、彼女の肩がビクッと動いた。
「…お待たせして申し訳ありませんでした。
どうぞこちらに…」
振り返った彼女の目を見た瞬間、河野の言っていた意味が解った気がした。
涙は止まっているのに、彼女の目は泣いていた。
暗い深海の闇の中に、一人取り残されたような悲しい目。
俺はこの目を知っていた。
絶望を味わい、抗う事を諦めた時にする目だった。
「…無理を言って、すみません。」
外見から想像していた声よりも、落ち着いたアルトの声で彼女は言った。
「大丈夫です。どうぞ。」
希望を聞くと、やはりバッサリ切って欲しいと彼女は言った。
椅子に座った彼女を鏡越しに見つめる。
長い髪は彼女の美しさを際立たせ、エキゾチックな雰囲気を演出している。
勿論、これだけの美人なら、きっと短い髪でも魅力的にはなるだろう。
具体的な髪型は決めて無いと言う彼女に、ヘアカタログを渡し、髪質や襟足のチェックをしなから彼女の希望を待った。
しばらくページをめくり、彼女が選んだのはメンズ向けのマッシュツーブロック。
アウトラインにツーブロックを仕込み、レイヤーを入れて動きを出した清潔感のあるマッシュスタイルだった。
「…ベリーショートをご希望でしたら、女性向けのラインナップがこちらに有りますよ。」
ページをめくろうと手を伸ばすと、彼女は開いたページを手で抑えた。
「いいんです、これで。」
そして、彼女は俺を見上げる。
大きな目尻の上がったネコ科の目が俺の目を捉えた。
「男に戻らないといけないんです。」
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