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ホールのロビーに入る。案内板に従って通路を進む。壁には個展のチラシが随所に貼られていた。通路の奥にガラスのドア、その向こうに受付のテーブル。壁やパーテーションに掛けられた数枚の絵が見えて、足を進めるごとにその絵は迫るように近づいてくる。各務の絵を見ただけで私の心拍数が上がる。自分の心臓の音しか聞こえなくなる。きっと生まれる前の、母親の中にいる胎児はこんな感じだろうと想像した。視界も遮られ、聞こえるのは心臓の音のみ、そこから出ようにも身動きが取れない。ただ、外界に出られるそのときを待つ。
「あら」
声を掛けられて私は現実に戻る。目の前には女性、ガラスのドアを開けてくれたらしい。
「懲りないのね、あなた」
「今日は絵を買いにきました」
「買いに? あなたみたいなお嬢さんが……」
その女性は私を足元から見上げたあと、私の後ろにヒトがいることに気付いた。先輩。
「お連れさま?」
「ええ」
女性はスーツの内ポケットから名刺入れを出し、一枚引き出すと私の横をすり抜けて先輩に差し出した。
「久保田と申します。各務のアトリエで絵の販売をお手伝いさせていただいてる者です」
先輩は、ご丁寧にありがとうございます、と言いながら名詞を受け取る。その久保田という女性は笑顔。さっきまでの仏頂面が嘘のようだった。
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