夏休み・後半

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菅井先生の言葉を聞いて、迷いが完全に晴れたわけではない。 恐らく彼なら、――今の『適当な』先生ならば、一生徒の家庭の問題に不必要に踏み込むことはしないのだろう。 善悪は別として、これ以上は教師の領分を越えた出過ぎた行為だという認識もあった。 直面した問題に対する処理能力も圧倒的に不足している。 これは、瀬戸朱莉の母親の精神に関わる問題だ。 きっと専門的な知識や技術を伴った治療を要する何かなのだろう。 多方向から考えれば考えるほど、矛盾と疑問にぶちあたる。 教師のあるべき姿とはなんだ。 聖職者とはなんだ。 彼女を――瀬戸朱莉を、助けたい。 あの声にならないSOSに応えたい。 救いたい。 経験が、知識が、――力が、足りない。 だがそもそもそれは、一教師に求められるものなのか? どころか一介の大学生でしかない、この俺に。 ただひとつ明白なのは。 このままではいけないという思い。 朱莉を、自由にしてやりたいという願い。 それはきっと、一教師として――それを目指す、ひとりの大学生家庭教師としてではなく。 『俺』という人間――進藤隼人、一個人の。 そしてまたひとつ葛藤が生まれる。 教師は、たった1人の生徒に、個人的感情から肩入れなどしてはならない。 果たしてこの『個人的感情』とは。 一体、何物だ。
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