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「――ッ!」
驚きか、怯えか。
どちらともつかない表情で一瞬身を強張らせた瀬戸朱莉は、突然腕を掴んできたのが俺だと気付くと、その力を少しだけ緩め息を吐き出した。
「……セン、セイ」
と、躊躇いがちに彼女が俺を呼んだ時。
何かが、弾けた。
「もう先生とか呼ぶな」
自分でも予想も出来なかった冷たい声が出て、ヤバい、と冷や汗が伝う。
だけど。
俺はもう、お前の『先生』じゃないから。
多分この先は、教師の枷を外さなければ踏み込めない領域だから。
彼女の口から「センセイ」という言葉を聞くのは、もう嫌だった。
「来いよ」
どこへ。
そんな声にならない声が、聞こえた気がした。
その質問に対する回答を、俺だって持ち合わせない。
だけど、このまま帰したくなかった。
そうしてはいけない、と思った。
有無を言わさず小さな手から日傘をもぎ取って乱暴にたたみ、その間もどこへともなくずんずんと彼女の自宅から遠ざかる俺に、朱莉はほんの少しの逡巡を見せた後に黙って着いて歩き出した。
「センセイ」
「だから」
もうその呼び方は、と言いかけた俺を、彼女の言葉が遮る。
「これって、ナンパ?」
――家庭教師でもなんでもなくなった一介の大学生が、女子高生に声をかけ有無を言わさず連れ去ったら――?
「……誘拐、かも?」
笑い声は上がらなかった。
それでも彼女は、楽しそうに目を細めて笑った。
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