2学期・前半

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朱莉のまさかの『ENJOY!』チョイスに、俺の方こそ空気を読まずに危うく吹き出しそうになる。 よりによって、一番可愛げのないその顔を選ぶのか(しかもそれ俺の)。 思わず覗き見た彼女の表情はどこか満足げで、何と言うか、やはり俺はこの子の事を十分理解しきれてはいないようだ。 普段は(あんまりガキ臭くて)なるべく自らは使わないようにしているマイマグが今彼女の表情を和らげているのは確かで、その『ENJOY!』を横目になかなかヤルな、と感心しつつ、嫉妬めいた何かがもやっと浮かんだことに俺は一瞬戸惑いを覚えた。 その間に当然のごとく愛用の『SMILE!』を取った母さんが、残ったひとつ(所有権:父)をずいと寄越してくる。 別に凹むところでもないが、俺には選択権すらないらしい。 「ストレス抱えてんなら、牛乳たっぷりね」 ストレスとは無縁そうな母が、言いながら先に自分のマグになみなみと牛乳を注いでいく。 最早コーヒーではなくコーヒー牛乳、それだけ入れたらせっかくのホットも温かろう。 俺としては見慣れたこの奇行に、朱莉はまたふわりと顔を綻ばせた。 手渡された牛乳を、母に倣いなみなみと注ぐ。 その様子を見ながら母が 「うん、『ENJOY!』か。良い選択だ!」 ――そう言った時、来客用のカップではなく普段使いのマグを持ち出した母さんの真意が、不意に理解出来た。 「一度きりの人生、楽しまなきゃ損だよねぇー」 にぃっと笑った母のその言葉は、きっとそれだけで、瀬戸朱莉の心を軽くした。 容易に彼女の心を掴んだ母と歯を見せて笑うマグに何故か少し苛々して、何も入れずにあおったコーヒーは、いつもより苦い。
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