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第二話
「しょうがないわよ。急な仕事だったみたいだし」
「ふ~ん。まぁ別にいいんだけどね」
素っ気なく菜々子が言った。この調子だと例え父がいたとしても大して話はしないだろう。
ちょっと前まではお父さん大好きなんて言っていた物だが、中学生に上がるともなると急に煩わしそうに扱うようになる。これが思春期というものかと幸子は思った。
「お父さんも早く帰ってくれば良いのにね!」
反対に弟の耕平は、今年で小学四年生になるがまだまだあどけなさが残る。この子の長所は切り替えが早い事だろう。最初は学校が移る事に酷く抵抗があったみたいだが、いざ引越しの日になればこの有様である。
今日この場に居ない、夫である大友 勇【オオトモ イサム】は最近は帰りが遅いことも多く休日出勤も珍しくない。
役所を相手にしている仕事と言う事で、最初は定時上がりに土日の休みを自慢してたが、課長に昇進してからは給料が少しは良くなったがその分忙しくなったとぼやいている。
最近は帰っても疲れたと言ってろくに話もせず眠りにつく。最初は文句も言っていた幸子だが、近頃はそんな事も言わなくなり会話の無い夫婦関係に慣れてしまった。
結婚当初は生涯愛してるなんて口にしていたのだが――結婚生活も三年過ぎれば愛なんてさめると言うが、そうかもしれないと幸子は感じていた。
「こんにちわ」
幸子が子供達と玄関を出ると、誰かが挨拶を交わしてきた。柔らかい女性の声だ。
「今日こちらに越してこられたんですか?」
「あ、はいそうです。後でご挨拶にお伺いしようと思ってたのですが――」
直感的にこの近所の方だなと思った。縁の無い眼鏡を掛け、後ろで纏めた髪を垂れ下げている。年は幸子とそう変わらなさそうだ。
「そんなお構いなく。それに私も昨日ここに越してきたばかりですし」
ここにと言った彼女の首が巡らされた。大友一家の越して来た住居の丁度隣である。
「あ。そうだったのですか」
幸子も彼女の家を一瞬みやり、驚いたように口元に手を添える。
「はい。安田 鳴海【ヤスダ ナルミ】と言います」
そう自己紹介を述べ、今日から宜しくお願いしますねと鳴海が軽く頭を下げ微笑んだ。
「あ、はい。大友 幸子です。こちらこそ――」
と挨拶を返し、更に隣の子供達に目配せする。
「え~とこの子が――」
「大友 耕平です」
「大友 菜々子です宜しくお願いします」
幸子が言い切るより早く、耕平と菜々子が挨拶し頭を下げた。
「こちらこそ宜しくね」
成海が笑顔で返事を返し、
「可愛らしいお子さん達ですね」
と幸子に告げ、今お幾つなんですか? と聞いてくる。
「菜々子は今年で十三に、耕平は十歳になるんですよ」
幸子が答えると、あらと一言発し。
「じゃあ耕平くんはうちの息子と同い年なのね。小学校も一緒になると思うし宜しくね」
そう成海が言った。
「良かったわね耕平。早速お友達が出来そうで」
息子に向かって微笑んであげると、当の本人は妙に照れくさそうにしている。
「娘さんは今年から中学に?」
再び成海が聞いてきたので、えぇと返し、
「入学式に間に合うように移ってこれて良かったです。ぎりぎりでしたけどね」
と幸子は話を紡げた。
「確かにそうよねぇ。うちも転向にはなってしまったけど、始業式には間に合わせたかったから――」
鳴海はそう言った後、でも良かった、と少し首を傾ける。
「お隣になる方が良い人そうで。なんか仲良くなれそう」
その言葉に幸子はほっとした。暮らすにあたり隣人の人柄はかなり重要だからだ。しかし少し話をしただけではあるが、成海の言葉と同じように幸子も彼女の雰囲気から、感じが良さそうな印象を持った。
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