‐夢見る果実‐

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 夢は、未練なのだ。  私が絵を描くきっかけは、幼い頃にどこぞやの海で見た光景だった。水平線から立ち上る陽炎が、空の青と海の青を混ぜる。足元の白砂は流れる雲の白と混ざり合うことはなく、そこいらを彷徨している。  洋上の小舟の渡し守が私に手を振ったのを、今でも覚えている。  乾いたイーゼルや、欠けた木炭。ボサボサの絵筆、それらすべてが押し込められた戸棚の中には、今も切り取られた青春が植わっているのだ。決して芽吹くことのない、セピア色の思い出は、打ちひしがれた私を知らぬまま、眠り続けている。  それならばいっそ、このままの方が良いではないか。芽吹きを夢見てあてどない眠りにつき、訪れない時を待っている。  そうして私は、今日も夢を見るのだ。青いままの私は、海の底に沈められた、身のない果実なのだ。いっそ脳裏に染み付いた風景も、沈めてしまえれば苦しむ暇など片時もありはしないのだから。     ◆  風が吹いた。麦藁帽子はもう被ってはいない。  空は高く、うだるように暑い七月の初旬。切り取られ、ぽっかりと穴を広げたような心象風景。私は今、夢を見ている。蒼い夏の舷灯が差し込む水底で目を開け、ひとときの夢を見る果実なのだ。
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