‐科白‐

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 白い個室で、ひとりの男が佇んでいる。年の程は三十行くか行かないかぐらいか。よれよれのコートを身にまとい、虚ろな目で中空をただぼんやりと眺め、口をせわしく動かしている。  サナトリウムの一室。簡素な机と椅子、ベッドが置かれた隔離空間。偏光硝子越しに見た光景は正直、異様だった。 「お前さ、もっと情緒とかはないのか?」 「無いね。考えを妨げる要因の一つだ」  男が、自分自身と話していた。  いわゆる独白ではなかった。男の中で甲と乙、二つの性格はまるで交互に析出し、会話しているのだ。自分も研究者の端くれだが、こんな症状を見たのは初めてだった。  ふつう、乖離性同一性障碍、いわゆる多重人格と呼ばれるものには、主人格と呼ばれる表出頻度の長い人格が存在し、それに追随する形で別人格が存在するのだ。しかもその別人格は、現実逃避などのプロセスを踏んで表面化するため、欲求に素直な非人格者である事が多い。例えば幼児的であったり、残虐的な側面を持っているのだ。  しかし眼前の男はどうだ。 「君はもう少し理想を低く掲げるべきだと思うがね」  配布された資料を参照する。男の名前……はどうでもいい。略歴をざっと流し見る。
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