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いたって普通の、あるいは普通以上の男だった。親の愛情を注がれて育っている。高校は私立校に進学し、大学は某一流大学を出ている。
「薬害ですよ」
不意を打って聞こえてきた声はくたびれた服を着た男性のものだった。大分年も召しているようだったが、その眼孔は炯々と光を湛えている。
「いや、これは失敬した。私はここの院長をしているものです。尤も彼の父ですと言った方が話は早いですね。彼は昔、小さな製薬会社で抗うつ薬の開発に従事していました。なにぶん、時代が時代ですからね……当時の精神安定剤なんてものは、何が入っているか分かったものではありませんでした。彼は十年近くの歳月をかけて、アゾヒリンという抗うつ薬の開発に成功しました」
「成功?」
アゾヒリン。精神疾患を専門分野とする医学者には知識として蓄えられている薬品名。精製者自らが薬害の存在を証明したことで名が知れた薬だ。
しかし院長の口振りからは失敗というニュアンスは聞き取れなかった。そのため、頓狂な声をあげてしまったのだ。
院長は僅かに柔和な笑みを浮かべた。
「アゾヒリンが精神疾患に及ぼす効果は絶大でした。一時期は新聞の一面をも飾るほどだったのですが」
そこで院長は静かに呼吸を置いた。そして、その先を滔々と語り出したのだった。
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