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分かっているのに、今更懸命に経緯を説明しようとする彼。
無下にするとカドが立つからデートをするようになったとか、近々既存の組織の再編があるらしく下手な動きができないとか。
それで、気がついてしまった。
彼は私に謝りたいのではなく、自分が赦されたいだけなんだと言う事に。
極め付けは、この一言だった。
「千紗に、一生負い目を感じさせたくないから」
つまり、私と一緒にいる限り、この先自分の出世は見込めない、それを私の所為にしたくない、と。
何で、そういう話になるの?
そりゃあ私だって、彼には出世して欲しい。同期の中でも抜きん出て実力がある彼を尊敬し、目標としていたから。
でも、だからなんで、私が一生負い目を感じると思うの?一生その立場に甘んじるつもりなの?
他の道を拓こうって、そう思えないの?
それらの疑問を、しかし私は彼にはぶつけなかった。
目を見て、声を聞いて、もう何も動かないと分かってしまったから。
せめて、心変わりしたと言ってくれたらよかったのに。もう、私からあの子に気持ちが移ってしまったと。
そうすれば、彼を責める事で、自分を強く保てるのに。けれど彼は、自分を悪者にして相手の心を安らかにしよう、という気持ちはないようだ。
それはそうだろう。
人間誰だって、長い人生負い目が少ない方が、楽に生きられるに決まってる。
だから、私の言葉を待っている。
「仕方ないわね」
という言葉を。
それで、どうでも良くなってしまった。
…という事にした。自分の中で。
これ以上深く考えたら、自分がどんどん自分じゃなくなるに違いない。私もそこまで出来た人間ではない。口から出たのは、期待されたものではなく、
「出て行って」
の一言。
市原の表情が、悲しそうに歪んだが、やがて諦めたようにため息をひとついた。
重い鉄の扉の向こうに消えた背中に、私は何の感情も持てなかった。
……という事にした。
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