公彦

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「実は、休み始める三日前の事です。学校から帰ると『筆箱を買って欲しい』と言うんです。  訳を尋ねても答えません。落としたのか壊したのかも言わないんです。仕方なくお小遣いを持たせて、文房具屋へ行かせました。    それが一時間経っても帰って来ないので、心配で迎えに出ると、公彦が玄関の前で立ち尽くしていました。  しかも筆箱もお小遣いも持っていないんです。それに、顔には泣いた痕がありました。    それから一緒に、もう一度文房具屋へ行き筆箱を買って、翌日学校へ持って行かせました。  その日は何も無かったのですが、その翌日、学校から帰るとまた 『筆箱を買って欲しい』と言うんです。  おかしいと思って、カバンの中を調べてみました。その間、公彦は部屋の隅に座り込んで、ずっと泣いていました。    カバンの中には、この筆箱が入っていたんです」    母親はそう言いながら、バッグの中から青い筆箱を取り出した。    蓋は殆ど引きちぎられて、蓋を閉める為のマグネットでかろうじてくっ付いてるといった感じだ。    その蓋の中央部はマジックで黒く塗り潰されていたが、微かに赤いマジックで何か文字が書かれていたのが判った。それを消す為に黒マジックで塗りつぶしたようだった。    ついさっき抱いた苛立ちは、一瞬にして吹き飛ばされた。    その壊れた筆箱をそっと手に取ると蓋を開けてみた。    驚いた。  そこにある筈の鉛筆や消しゴムは無く、代わりにミミズと芋虫が死んで、もう干乾びていた。 『本当にいじめが起きてるんだ』  自分の顔が蒼ざめていくのを感じた。 「あの子は本当に優しい子なんです。主人は仕事の都合で、殆ど家にはいません。  忙しくしている私を手伝って、歳の離れた妹の面倒をみてくれるんです。  本当は公彦も、もっと構ってもらいたい筈なのに……」    母親の言葉は耳に入って来てはいるが、頭の中は、別の言葉を繰り返していた。 『誰だ。一体誰なんだ?』
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