たとえば君が想うとき

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 潮風が僕の髪をさらい、いたずらっ子のように去っていく。ちょっと君みたいだななんて思ったら、僕はまた怒られちゃうかな。  防波堤の先で立ち尽くしていると、水色の家のおばさんの大きな声が聞こえた。いつもとおんなじ光景。石を蹴るなって怒られて、男の子がびっくりしながら謝っている。そうすると満足そうに腰に手を当てて、素直で良しと笑うんだ。だけど今日だけは、素直で良しとは言わず、早く帰って支度しなさいと小さく言った。そっか。あの子達も。  大好きなこの島。君と一緒に歩けるときは、きっともう来ないね。君の小さな手を握って歩くの、僕はとても好きだったんだけどな。  君との思い出がありすぎて、思い出しきれないほどだ。君はあんなに情けない告白をした僕を、デンファレをプレゼントした僕を、いったいどう思っていたかな。  今はもう知る由も無いことを思いながら踵を返す。防波堤を降り、僕はいつもより静かになった島をぼんやり歩いた。静かすぎて悲しくなる。こんなに静かなのは、僕はあまり好きではないかもしれない。  家に帰ると、そこには誰もいなかった。お帰りと言って笑ってくれる君はいない。僕は洗面所に行き、まだ二つ並んだ歯ブラシを眺めた。男性用と女性用の、種類の違う洗顔フォーム。化粧水やら乳液やら僕にはよくわからないものが沢山と、その横に僕のシェービングフォーム。いまはまだそれぞれ置いてあるけれど、やっぱりこれも、いつかはどっちかだけになっていくのだろう。  なんだか目頭が熱くなった気がして水道の蛇口に手を伸ばしたけれど、僕は思い出して手を引っ込めた。  開けっ放しの窓から風が舞い込み、君が選んでくれたピンクのカーテンが揺れる。胡蝶蘭という名のデンファレが、なんとなくうな垂れているように見えた。  この家も、こんなに静かになることがあるんだね。君と出会ったことで沢山のことを知ったけれど、これは知らなかったな。  大好きな君と二人で過ごした家。一人で眠るには、少し広すぎるかもしれない。
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