たとえば君が想うとき

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 君の香りが残る部屋を目に焼き付けてから、僕は再び家を出た。行き先はもう決まっている。本当は少し恐くて行きたくなかったんだけど、僕もそろそろ受け入れなければならない。  君が見つけた裏道を通ってコーヒー豆屋さんを覗き、やっぱりいい匂いだななんて思いながら階段を上った。この道を通った記憶があんまり無いのは、この先にある場所へ行く機会があんまり無いから。  僕はさっきよりちょっとだけ軽くなった足取りで階段を上り、拓けたその場所で深呼吸を一つした。    僕の横を通り過ぎていく沢山の人達。ジーンズと白いシャツというラフな僕とは正反対に、真っ黒の衣装に身を包んだ見知った人達。その姿を見て、僕はなんだか申し訳ないような、でも嬉しいような、奇妙な感覚に襲われた。  人になんと言われようと、娯楽施設の少ないつまらない島だと言われようと、僕にとってこの島の人との繋がりが全てだった。だって僕にも両親がいないから。親戚もいない。血の繋がりのある人は誰もいない。だからね。そんな僕に人との繋がりを教えてくれた君が、本当に本当に大好きだったんだ。  だからね。だからお願い。そんな顔して泣かないで欲しい。  あれは、そうだ。僕を旦那と呼んだおじさんだ。その隣にいるのはその奥さんで、もう一人は君のレストランのキッチン主任のおばさんだ。そんな三人になだめられながらも、ただひたすら泣き続ける君がそこにいる。  大好きだったパステルカラーの服ではなく、黒一色のワンピースを身にまとっている。彼女の髪を纏めるバレッタが、レース柄から光沢の無い黒布のものへと変わっていた。  拭っても拭っても溢れる涙をハンカチで拭い、肩を持ってもらいながら式場へと入っていく。僕の周りにいた真っ黒い人達も誰一人いなくなり、その場はがらんと静かになった。  君を泣かせてしまうなんて、やっぱり僕は情けない。
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