83人が本棚に入れています
本棚に追加
/110ページ
「森先生。こんな、お手紙が」
現代文の講義を終えて帰り支度の時だった。
森は事務員から切手も消印も無い封書を受け取った。
森先生とだけ表書きが記されている。
「何かな? 僕は、これでも忙しいんだ」
彼は当代の人気講師だった。
その場で封書を開いて手紙を読む。
――――――――――
私は森先生の現代文の講義を受講する女子生徒です。
そして、O・ヘンリーのファンです。
今でしょ ! の出所は、これではないですか?
「ああ、やるなら今だ」マクスウェルは小さくつぶやいた。
「今、言おう。ずっと言わないでいたけれど」 しっかり球を捕らえようとする遊撃手の勢いで、彼は奥の部屋に駆け込んだ。そしてそのまま速記者のデスクに突っ込んだ。
ミス・レスリーは笑顔で彼を見上げた。柔らかな桃色が頬に広がり、視線はやさしげで率直だった。マクスウェルは片肘を突いてデスクから身を乗り出した。風にはためく書類を両手に握り締め、万年筆を耳に挿したまま。
「ミス・レスリー」彼は急いで切り出した。「少ししか時間がないけれど、その間に言っておきたい。結婚してくれないか? 普通のやり方で求婚する時間はなかった、でも本当に君を愛している。どうか早く返事を――ユニオン・パシフィック社の株を売り叩こうとしているやつらがいるんだ」
「まあ、何を言っているの?」若い女性は叫んで立ち上がり、目を丸くして彼を見上げた。
「わからないのかい?」マクスウェルは続けた。「結婚して欲しい。愛している、ミ ス・レスリー。これが言いたくて、仕事の隙をみて来たんだ。でも、もう皆が僕を電話口で呼んでいる。ちょっと待つよう言ってくれ、ピッチャー。どうだろう、ミス・レスリー?」
速記者は実に奇妙なしぐさで応えた。初めは呆気にとられていたが、やがて驚いている目から涙がこぼれ、ついには明るい笑顔になって、片腕をそっと仲買人の首に回した。
「やっとわかったわ」彼女は穏やかに言った。 「いつものお仕事が他の事をみんな頭から追い出したのね。覚えていないの、ハーヴェイ・マクスウェル? 私たち結婚したじゃない、昨日の夜八時に、〈角を曲がったところの小さな教会〉で」
【忙しい仲買人のロマンス】
森は手紙を読み終えて事務員を見た。
手紙を持つ手が震えている。
「森先生? どうされました? お顔の色が……」
「つかぬことを訊くけど」
最初のコメントを投稿しよう!