第6話 この指とまれ!

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 もしもあなたが、注意深く目に映るものを観察したのならば、次の停車駅で降りたくなるかもしれない。なぜならあなたの目の前にいるひどくくたびれた男性の肩には、白いものや黒いものがちらちら見える。おそらくフケであり、抜け毛である。その首筋は汗と油でギトギトしている。  ふとした拍子にその男の体臭が鼻を突く。  仕方なしに鼻を曲げ、別の臭いで気を紛らわそうと横を見ると、そこには長い黒髪を頭の後ろで結わいたポニーテールの女性がいる。少し離れたところで見ればそれはとてもかわいらしい後ろ姿なのかもしれないが、彼女との距離――いや、ポニーテールとの距離はあまりにも近すぎて鼻の先がかゆくなる。  それだけならまだしも、そのポニーテールからはかすかにタバコのにおいがする。彼女が吸ったか、或いは身近な誰かが喫煙者なのだろう。  私はタバコのにおいが嫌いだ。  後ろから物音がする。  シャカシャカ、シャカシャカ、ドーン、ドド シャカシャカ、シャカシャカ、ドーン、ドド  ヘッドフォンからこぼれる音は、近づかなければ聞こえないし、ざわついた空間なら気にならないのかもしれない。しかし、私と――私の耳と彼のヘッドフォンまでの距離はわずか数十センチである。しかも車内には、音はしていても一定のリズムと決まった音色しかしないのですぐに聞き分けられてしまう。  シャカシャカ、シャカシャカ、ドーン、チッ、チッ シャカシャカ、シャカシャカ、ドーン、チッ、チッ  音楽は嫌いじゃない。いや、むしろ好きだし、人が何を聴こうと文句をつけるつもりはない――いや、本当はジャズこそが最高の音楽だということは誰にも譲る気はないのだが。  ドーン、ドーン、ドド、ドーン ドーン、ドーン、ドド、ドーン  仕方がなく私は中刷り広告に目をやる。本当は新聞を読みたいのだが、そのスペースを今は確保できない。あと二駅すぎれば、この状況から抜け出せる。
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