第6話 この指とまれ!

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 これといって思い入れがあったわけでもなんでもない。ただ、これまでそこに何かがくっついていたのだから、それがなくなってしまったことへの違和感がぬぐえず、かといって、ストラップだけを買うということも、どうにも億劫であった。 『ちょうどいい』とたぶん私は口にしながらそのおまけつきの缶コーヒーを買い、駅までの5分の道のりでそれを飲み干そうと考えた。駅の周りにある自動販売機のくず入れに飲み終わった缶コーヒーを捨てる。しかし、普段から歩きながら缶コーヒーを飲むことなどあまりしない私は、最初の一口を飲み干した跡に『お釣り』をもらってしまったのだ。 『お釣り』  口を離すタイミングと缶を傾けるタイミングに少しばかりのズレが生じ、数滴缶コーヒーの中身をネクタイにこぼしてしまったのである。 「しまった! 汚しちまった」  あわててハンカチを取り出そうとしたがあいにく両手がふさがっている。  カバンは肩にかけているが、右手に缶コーヒー、左手に新聞だ。右手に持った缶コーヒーを左手に持ち替えないと、右のズボンのポケットに入っているハンカチは取り出せない。しかし、うっかりすると新聞を汚してしまいかねない。右の脇に新聞を挟み左手に缶コーヒーを持ち替え、不自由な右手でズボンのポケットからハンカチを取り出すまで、ぎこちなくこなしながら、それでも歩くことをやめない私は、すっかりうろたえてしまっていた。 「まったく、なんてことだ」  仮にその動きがどれだけ俊敏であってもネクタイについた缶コーヒーのシミを完全にふき取ることなどできなかったかもしれないが、私はすっかり落ち込んでしまった。  なんだよ。今日はついてない。  コーヒーのシミは、よく見なければわからない程度のものだったが、そこにそれがあると知っている私にはとても気になるものだった。ネクタイをはずしてしまおうかとも思ったが、それはそれで、気持ちが悪かった。  そこにあるべきものがないのは気持ちが悪いのだ。
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