閉村

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「都内の………慢性的な水不足の解消のため………仕方がないんです。 わかって下さい、平井さん。」 役人は、心底申し訳なさそうに、深々と頭を下げた。 顔にかかっていた前髪が、下に向かって、垂れる。 「そんな………」 平井、と呼ばれたその老人は、 愕然として、石のように動かなくなった。 故郷が――住居が湖の底に沈む……… その事実を知らされた人間の表情とは、このようなものなのだろう。 だらりと瞼を開き、その目を泳がせる。 ―――三郷村広報課課長。 それがこの、平井清の肩書きであった。 齢は59で定年間近、 細身の灰色スーツに四角いメガネの一見サラリーマン。 その年齢の割にかなり老け込んでおり、 顔はもはやくしゃくしゃに丸めた紙屑のよう。 真っ白になった薄いその髪が、生きてきた年月を語り、 シワの一本一本が、その仕事ぶりを語る。 59年前、 三郷村、という小さな温泉郷に生を受けてこのかた、 一度たりともその村の外で生活することなく、 その地の小学校に通い、中学校に通い、村の外れの高校に通い、 大学に行くことなく、村の役場に就職し、 特に貪欲さを見せることなく、尚且つ真面目に、村のためだけに働いてきた 三郷村一筋に生きてきた男である。
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