―逃げ出した鬼―

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 なのにこの仕打ち。裏切られた気分だ。一体己がなにをしたと言うんだ。そりゃあ精神的には痛め付けた。だけどそれがなんだと言うのか。あんなのは躾の一環だ。  一族は力と引き換えに人の生き血がなければ生きられない厄介な一面がある。  シャークは敢えてそれを利用した。生きられるギリギリの血しか与えなければ飢えで自我を保てなくなる。そうして自分があの子の生命線となることを望んでいたと言うのに――  女はマリアと言う。人間じゃないくせに人間みたいな名前をしている。まぁあの子も大概そうだったのだが。  あぁ腹立たしい。あの子は一度も自分がつけた名前には反応してくれなかった。  マリアは「アンタのじゃないんだけど」という顔をしては数秒表情をなくしてから「逃げたんだ?」といやに挑発的な視線を寄越す。  今の顔あの子によく似ていたとほんの一瞬でも思ってしまった自分を呪い殺したくなった。 「俺はてっきり此処へ“里帰り”したのかと思ったんだけど、アテが外れたかぁ」 「ふっ、私はあの子を見捨てた親よ? 会いにくるわけないじゃない。顔も見たくないはずよ」 「それもそうだね。君は保身のためにあの子を売った。――クス、確かにその通りだよ」  シャークはわざと相手の機嫌を損ねるような言い回しをする。根っからのサディストなんだ、彼は。それも肉体的にではなく精神的に。  せっかくここまできておいて言い負かされっぱなしなのも性に合わない。あの“制約”は物理的にしか有効ではないから。さすがに心まで守ることは出来ない。  さっさと帰れ、と目が物を言う。こんなどうでもいい人とアイコンタクトなんてしたくないんだけどな、そう苦笑を落としてシャークは背中を出す。  視界の端に映るドクを手で仰ぎ合図を送る。それだけで彼の意図を読んだドクは去り際に親指をマリアの顔前に逆さにして突き出した。  一向に内面が成長しない彼にマリアは呆れにも近い顔だった。そこだけは目障りなあの女に同調しよう。  
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