わかっていた別れ

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「久しぶりだね、光秋。さぁ、僕と一緒に実秋に会ってあげよう」 「え、あ……?」  夏葉さんに優しく肩を押され、俺は襖に手をかけた。俺の肩をつかんでいる夏葉さんの指に力が入っていて少し痛い。夏葉さんも、緊張しているんだ。 「決してご無理はなさらないで下さい。私はここにいますから、気分が悪くなったらすぐにお声を」  隣で、心配そうな視線を向けてくる和之さんに「ありがとう」と微笑む。  あんなことを言ってしまったけれど、本当はちゃんと向き合えるのか自信がない。でももう、引き下がるわけにはいかない。前進あるのみ。  俺は意を決して襖を開け、1歩踏み出した。 「あっ……!」  開けた途端、血の嫌な匂いが鼻をついて、クラクラとめまいがした。実戦経験が全くない俺には、血の匂いに、ましてや死人を見ることの耐性がない。 「っ!何と酷い。実秋……あぁ……」  父上は、すぐそこにいた。顎の下から骨盤のあたりまでまっすぐ、袈裟懸けに斬られ横たわっていた。  白かったはずの壁や畳は真っ赤な血で染められ、この部屋だけが赤の世界。部屋の中は散らかったりしていない。ただ赤いだけ。 「父上」  倒れそうになるのをグッと堪え、父上の隣に腰を下ろす。  父上の血で着物が染まろうと、そんなことはどうだっていい。震える手を伸ばして、ピクリとも動かなくなった父上の頬に触れる。  冷たい。呼吸をしない、動かない。死んでいる。父上が、死んでしまった。 「眠っているような、穏やかな表情をしているね」  父上の寝顔なんて見たこともないけれど、夏葉さんが言うんだからきっとこんな顔をして寝ているんだろう。
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