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大人に成った頃には同じ難病を抱えて居る人でも軽度で在れば子供を産んだりして居た。 とは言え…無理は出来ない。 完治はしない。 するのは悪化と緩和。 産むのは覚悟が居る。 妊娠、出産は母体を危険に晒す。 そして何より産んでからが一番体に負担が掛かる。 育児は簡単では無い。 悪化した人も少なくは無い。 主治医はそう話した。 仕事場に一駅。 病院は電車を使わなければ自転車で10分。 中々良い場所を我ながら見付けたと思う。 仕事は激務だった。 検査でポリープが発見された時は焦った。 人より遥かに発癌率は高い。 悪性では無かったのが幸いだった。 それから半年した頃、職場で体調を崩し、同僚が主治医の病院に運んでくれた。 主治医は注射を打ちながら仕事を変える様に言ってきた。 会社は一月の休養を提案した。 復帰して、一月が過ぎた頃、体の変化に直ぐに気付いて病院に行く。 妊娠二週目だった。 仕事を辞め、同棲して居た彼と直ぐに籍を入れた。 何か在ればと主治医は出会った大学病院での出産を勧め、紹介状を持たせた。 切迫流産に慌てた位で良く聞く悪阻も無い。 逆に妙にマックのポテトと果物が食べたい。 気の向くまま食べて二十キロ太った。 勿論…怖い看護婦の偉い人に毎回怒られて居た。 そして予定日より5日遅れて陣痛。 と同時に悪阻を連れて来た。 陣痛から三日。 破水したけど、未だ半分何て言われ、痛みに苦しみながら上下が混ざり目が回る。 水を飲んでも吐いて胃液すら吐き尽した。 痛みと吐き気と体力の尽きる中でやっと破水し分娩台に乗せられた。 「不味いな…首が締まってる。急いで吸引準備!!」 聞こえる声に泣きそうに成ったけど、小さな産声を挙げる女の子を美月を無事に産んだ。 平均より少し小さかった。 大学病院は赤ちゃんは常に別室。 母親は決められた時間に行く。 行けば何時行っても娘は抱っこされて居た。 弁が閉まらず逆流症が見られたからだと言われたけど…単に可愛いからだったとこっそり理由を言われたのは退院する前の日。 名残惜しそうに見送られて退院した。
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