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「気を付けて帰れよ。」
以前と変わらない表情。あのころと同じにさりげなく俺を気づかう態度。
ああ・・・いつかの感情が胸の奥にじんわりと甦り始める。
藤原さんは運転席に乗り込むとすぐに車は発進した。まるで何かの映像を見ているかのようだった。ただ人が車に乗り込んで発進するだけのありきたりな日常の風景がこんなにも印象的に目に映るのだろうか。車はロータリーを出るとすぐに角を曲がって見えなくなった。
それでも俺はそこから動けなかった。
なにが起こったんだ。
何が起ころうとしてる。
どうして今になって藤原さんが・・・。
無意識に辺りを見回して自分の居場所を確認する。
いつもの駅。俺がユズルと暮らしてるアパートの近くの駅だ。
そうだ、ユズルが待ってる。帰らないと。
俺は反射的に向きを変えて歩き慣れた道へ向かった。犬や猫が感覚的に家を覚えているのはこんな感じなのだろうか。人間も動物だ、そういう感覚はあるんだと後になって実感した。帰り道の風景は全く目に入らなかった。
どうして藤原さんがここに。
藤原さんはなんて言ってた?
“おまえは俺のことをどう思ってた?”
その台詞が頭の中をループして、それに対する答えが取り留めなくぐちゃぐちゃに浮かび上がってくる。
そんなこと聞くまでもないのに、どうしてそんなことをいまさら聞きに現れたんだよ。
いつの間にか早足になっていた。藤原さんと会った現実から逃れるようにその場所から一刻も早く離れたい一心でアパートに戻った。
迷路からの出口をやっと見つけたような気持でドアを開ける。
玄関を入るとユズルがキッチンから顔を出した。
ユズルその姿が俺を現実に引き戻してくれた。
「マナト?何かあったのか?」
ユズル。
さっき藤原さんが・・・。
上手く話せる自信がない。ユズルに話したら取り乱してしまうかもしれない。
「藤原さんが・・・。」
やはり上手く言葉にならない。
「藤原?」
俺は藤原さんが去ることになった原因が俺にあったことを持ち出して、なんとか取り繕った。取り繕える程度には落ち着きを取り戻していた。
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