3話:母からの手紙――匣の中

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「其方の主はここだ。藤咲当主の名に措いて命ずる…従いなさい視(かぐみ)っ!!」 〈ご主人!?〉 このままぶつかれば、人の身体など一堪りもない。 狗神は、予期せぬ主の行動に怯んで、今にも握り潰さんとしていた拳の力を抜いた。 重音と共に、狗神の拳が床に沈む。 「お願い…お願いよ…殺してはダメ。視……彗を離してあげて頂戴…」 名を呼んだ瞬間、膠着していた粘度の高い空気が明らかに緩んだ。 白い巨体に縋って震える天音の鼻先に、視の巨大な鼻面が迫る。 〈ふう……ようやく名を呼んでくれましたか、主。人霊ごときの為というのが少々不服ですが、貴女に従いましょう〉 ゆっくり、ゆっくりと慰めるように擦り寄ると、巨体を横たえて狼は是と応えた。 と共に呆気なく開いた手は、まるでゴミでも捨てるかのように無造作に彗を床に放り出す。 二転、三転して彗は止まった。 【がはっ……! 痛ってえ……なに、しやがる…】 「彗っ、この馬鹿!」 【うお、痛…っ】 怒声と共にきつく掻き付かれ、彗は目を白黒させる。 申し訳なさそうな悄然とした様子は、しっかりと自身の非を理解した顔だった。 【天音…】 「アンタはもう……そのまま、消えちゃうかと思ったじゃないの…」 膝小僧で躙り寄った天音は、床に転がったまま忙しなく咳き込む彗の頭を守るように、そっと両腕に抱き込んだ。 「大丈夫?」 【…に見えるかよ。縊り殺されるかと思ったぜ…】 「ほんと、莫迦よ、アンタ…」 短く息を吐いた瞬間。 彗は頭を撫でる手の温もりと、地肌越しに伝わる尋常ではない必死さを感じて一瞬だけ目を瞠った。 【お…おい…お前、震えてんじゃねぇか……どう、したんだよ】 「気に、しなくてもいいの。それより、挑発なんかするからこんな目に遭うのよ。喧嘩っ早いのも、考えものね」 紡がれた小言の語尾が、掠れて粘度の高い夜気に解けていく。 泣きそうに歪んだ顔のまま、水浅葱の髪に顔を埋めた天音は、そのまま動かなくなった。 【…んだよ、泣くんじゃねえっての。これじゃ、俺がイジメたみてぇじゃねえか】 「アンタのせいよ……バカ、ほんと手間のかかる馬鹿幽霊なんだから…」 彗の声に荒っぽさはなくて、諭すようにどこか柔らかかった。
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