2.フリーライター矢部

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「祥さん?わ・た・し」 「なーんだ、紗江子か」  電話の主が多谷紗江子と知って、矢部は麺をすすりながら応えた。もしかして稼ぎ口かな、との淡い期待が萎んでいく。 「何よ、久し振りなのに。なーんだ、って失礼ね」  久し振りと言っても、一ヶ月に三回は電話してくる。どこが久し振りなのか。 「すまん、すまん、で、何か用か」 「その退屈そうな口調からすると、祥さん、あの事件のこと知らないでしょう」  矢部はカップ麺をすするのを中断した。本当は、いまがバターが溶け出した直後で、このカップ麺のもっともおいしい瞬間なのだが。 「事件・…?テレビでも報道されてないやつか?」 「そう、あったり~!さすが祥さん」  相変わらずノリがいいな、と矢部は苦笑した。紗江子は、矢部が某出版社に勤務していた頃からの職場仲間だった。いまでは彼女も、有能な編集員になっているらしい。彼女のことだ、流れによっては編集長のポストだって狙えるかもしれない。 「で、あの事件ってのは?」 「私から言うより、井出さんから電話があると思うわよ」 「井出が?どうして、そんな事件を紗江子が知ってるんだ?」 「偶然にも、その現場が、会社に近かったのよ。そこに井出さんがいたってわけ。だから興味持っちゃってさ、井出さんに直に聞いたのよ。とにかく、いまは暇でしょうけど元気出してね、祥さん」 「おれは、いつも元気だよ。知らせてくれてアリガトな」 「あっ、余計なことだけど、カップ麺ばかりじゃ身体に悪いわよ。今度わたしが、ふぐ料理おごってあげる。じゃーね」  ちょっぴり恩着せがましい言葉を残し、紗江子は電話を切った。  矢部の学生時代の友人、警視庁の井出が、わざわざ電話を掛けてくるということは、その事件が、井出の天才的な直感で難しいヤマだと思ったことを意味する。紗江子も、どうやらその事件に興味を持ったらしい。きっと彼女の出版社でも載せたいほどの事件かもしれない。紗江子に井出を紹介したのは矢部だった。  井出と紗江子含めた某出版社の編集陣は、好意からなのか、矢部にスクープレベルの仕事をまわしてくることがあった。まあ、そのお陰で稼ぎの悪い矢部でも、今日まで生き延びて来れたわけだが。
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