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「祥さん?わ・た・し」
「なーんだ、紗江子か」
電話の主が多谷紗江子と知って、矢部は麺をすすりながら応えた。もしかして稼ぎ口かな、との淡い期待が萎んでいく。
「何よ、久し振りなのに。なーんだ、って失礼ね」
久し振りと言っても、一ヶ月に三回は電話してくる。どこが久し振りなのか。
「すまん、すまん、で、何か用か」
「その退屈そうな口調からすると、祥さん、あの事件のこと知らないでしょう」
矢部はカップ麺をすするのを中断した。本当は、いまがバターが溶け出した直後で、このカップ麺のもっともおいしい瞬間なのだが。
「事件・…?テレビでも報道されてないやつか?」
「そう、あったり~!さすが祥さん」
相変わらずノリがいいな、と矢部は苦笑した。紗江子は、矢部が某出版社に勤務していた頃からの職場仲間だった。いまでは彼女も、有能な編集員になっているらしい。彼女のことだ、流れによっては編集長のポストだって狙えるかもしれない。
「で、あの事件ってのは?」
「私から言うより、井出さんから電話があると思うわよ」
「井出が?どうして、そんな事件を紗江子が知ってるんだ?」
「偶然にも、その現場が、会社に近かったのよ。そこに井出さんがいたってわけ。だから興味持っちゃってさ、井出さんに直に聞いたのよ。とにかく、いまは暇でしょうけど元気出してね、祥さん」
「おれは、いつも元気だよ。知らせてくれてアリガトな」
「あっ、余計なことだけど、カップ麺ばかりじゃ身体に悪いわよ。今度わたしが、ふぐ料理おごってあげる。じゃーね」
ちょっぴり恩着せがましい言葉を残し、紗江子は電話を切った。
矢部の学生時代の友人、警視庁の井出が、わざわざ電話を掛けてくるということは、その事件が、井出の天才的な直感で難しいヤマだと思ったことを意味する。紗江子も、どうやらその事件に興味を持ったらしい。きっと彼女の出版社でも載せたいほどの事件かもしれない。紗江子に井出を紹介したのは矢部だった。
井出と紗江子含めた某出版社の編集陣は、好意からなのか、矢部にスクープレベルの仕事をまわしてくることがあった。まあ、そのお陰で稼ぎの悪い矢部でも、今日まで生き延びて来れたわけだが。
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