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そんなある日のことです。
私はお日様の光を浴びるのに夢中になっていました。だから、近づいてくる音に気がつかなかったのです。
鋭い風が一瞬体を抜け、そして光を大きな影が遮りました。驚いている間もなく、影はすっと消えて、また暑い光が戻ってきました。思わずその影を、目で追いかけました。
すらっとしていて、焼けた肌。はねた短い黒髪。
きっと、あなたより少し年上くらいの人ね。ユキノさんはそう言いました。
そのとき初めて私は、人間というものを見たのです。
ただただ目を見張るばかりでした。今まで知り合った他のどんな友達とも似ていないのです。でも、私の友達はいろんな姿をしていました。だから、私は声をかけたのです。
「こんにちは。私はサキです。何と言うお名前ですか?」
ところが、彼が気づく様子はありません。私の近くにあるベンチに腰かけたままなのです。
「サキちゃん、この人間っていう生き物にはね、もう私たちの声は聞こえないのよ。ずっとずっと前に、言葉を忘れてしまったの。彼らだけの言葉を作ってしまったから」
ユキノさんは残念そうに教えてくれました。
「そうなんですか・・・」
私は彼をもう一度見てみました。すると彼は、手にしていた厚手の絵本を開いておもむろに声に出して読みだしたのです。
「人魚姫」
彼は言いました。
「ある美しい海の深いところに、人魚のお城がありました。そこでは、人魚のお姫様たちが父である王様と暮らしておりました。お姫様たちは、毎日魚たちとおしゃべりをしたり、歌を歌ったりして幸せに暮らしていました。」
その時間はとても短かったことでしょう。ところが私には、永遠に続くかのように感じられました。すうっと、私は彼の声に引き込まれたのです。
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