第一幕「愛と苦悩の青春篇」  -1.初恋

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俺は三歳となり、袴着の儀式を終えた。 俺はまだなにも知らなかった。 俺は、母と父のことが好きで、ふたりだけがすべてだった。 外のことなんて知らなかった。 母が時折見せる寂しげなまなざしの意味も、やせ細った手の意味も。 その年の夏、母は里下がりを申し出たという。 だがしかし帝はそれを許さず、母を自分の許へつなぎとめて放さなかった。そうして帝が事の大きさに気づいた時には、もう手遅れだった。 「先には立たぬと誓った。 …そうだろう? いくらなんでも、余を残して逝けるはずがない。 待ってくれ、逝かないでくれ、桐壷よ…」   そう帝は言ったが、母はついに儚くなってしまった。   俺はなにも知らなかった。 なにも知らぬまま、ただ見ていた。   しかも皮肉にも、今頃になって人々は、母の美しい容姿と、優しい人柄を思い出したのだ。   俺は知っていたのに。 母は、誰よりも美しく、優しく、あたたかい方だった。 「…ははうえ…」   手を伸ばし、白いその手に触れた。 いつもの、母のぬくもりに触れたくて。 しかし、握ったその手は、今はもう、冷たくなっていた。 “雲の上も 涙にかすむ 秋の月       いかで住むらむ 浅茅が宿に”
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