敗者 ~プロローグ~

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「ああ? おいおい、女房役の言うことは聞くもんだ。熱くなりすぎるな。あれだけのワンバンの後で、しかもランナーは3塁。〝まさかカーブは投げないだろう〟真っ直ぐに狙いを絞っているバッターのそのまさかを突くんだよ。それとも何か? お前は俺が後ろに逸らしちまうとでも思ってるのか?」 五十嵐が怒ったようにミットで桐生の胸を小突いた。 「俺は至って冷静だよ。自分でも怖いくらいにな。俺の真っ直ぐはあいつには打たれねえよ。それにカーブが抜けることの方が俺は怖え。カーブがすっぽ抜けることと真っ直ぐが痛打されること、2つのリスクを天秤に掛けてみろ。いいか?俺はお前が何のサインを出そうが真っ直ぐしか投げない。それが俺の武器なんだよ」 嘘だ。五十嵐は直感的に悟った。 相手の雰囲気に飲まれ、投手としての本能が剥き出しになり、直球勝負しか考えられなくなっているのだと思った。 だからこそ、彼は迷った。 桐生の闘争本能に従うか主張を曲げさせてまでカーブを放らせるのか。 2人はにらみ合ったまま、譲らなかった。 「君たち、あんまり長いと遅延行為と取るよ」 主審が2人に近づいて来た。 高校野球は、こういった遅延行為と疑われることに関してはシビアなのである。 そこが共興のプロ野球との違いであった。
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