穴のある世界

2/4
前へ
/82ページ
次へ
 他人には見えないものが見えるらしい。  しかしそれはいわゆる幽霊などではなく、真っ黒な穴だ。  その穴を最初に見たのは小学校二年生のとき。はっきりと覚えている。  私はその頃は土にまみれて遊ぶのが好きな普通の少年で、何が起きたのかはわからなかった。  ただ、父親の表情が暗いことが多くなっていたことだけはわかっていた。  ある日、友人達と公園で遊んだ帰りに洋風建築の我が家の窓から、中にいる父親と、そのすぐ前にある真っ黒な穴を見た。  そのとき私には、父が浮いたような気がした。  そして穴に呑み込まれて父は消えた。  意味のわからない光景。しかしそのとき私はとにかく父のもとへと急いだ。  玄関を抜け、廊下を駆け、一階にある父の寝室に飛び込むと、そこにはロープで首を繋がれて揺れる父の姿があった。  それが私が穴を見た、その最初だった。  穴はどこにでも現れる。  駅のプラットホーム、林の脇道、道路の真ん中や階段の踊り場。  しかし穴が現れるのには条件が要る。  必ずその近くに人がいなければならない。  その理由は単純。穴はその人物が自ら入るために現れるのだ。  だからその人が穴に入ると、穴は消える。  入った人間は、大抵は死んでしまう。しかし必ずそうなるわけではないようだ。  夢から覚めたように穴から生還した人間も、私は見たことがある。  しかし、見えたところで意味はない。穴に入るのはおそらくその人物自身が望んでのことだ。止めるすべはない。  だから私は穴のことは誰にも話すことはなく、見かけても特に何もせず、この歳まで生きてきた。
/82ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加