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その日も会社近くの踏切で穴を見かけた。私は嫌なものを見ないようにと急いでその場を離れ、会社にいつもより若干早く着くことになった。
そして私はその日を最後に会社に通う必要性を失った。
なぜ?
私にはわからない。わからないが、もう手遅れだ。
私はもう若くない。再就職は難しい。
妻も子供もいる。生活に余裕があるわけでもない。
どうすればいい?
いや、全てはもう手遅れで、どうするかとかいう問題ですらないのかもしれない。
因果は巡る。
私は我が家の寝室のベッドに座り、呆然として宙を見上げていた。
そこにはロープがぶらさがっていた、はずだ。
しかし今、そこには真っ黒な穴が拡がり、私を待ち受けている。
望んだのか、私が。
立ち上がり、一歩近付く。
いまだ私は穴のなかがどうなっているのかを知らない。だから、これが何なのかもはっきりとわかっているわけではない。
だが、私はこれがどんな願望を持った人間の前に現れるのかは理解している。
そして、今は私がそれだ。だから私はもう一歩、穴へと足を踏み出した。
そのとき、ふと何かが穴の奥から聞こえた気がした。
耳を澄ます。
じっと待つ。
しかし、何もない。気のせいか、幻聴でも聞こえたか。
まあ、もはやどうでもいい話だ。そう思って、息を吐く。
もう私は迷わなかった。
どうせ後戻りなどできないのだから、と。
意を決し、最後の一歩を踏み切る。
そして穴へと飛び込むその瞬間。
私ははっきりと、そのかすれた声を聞いた。
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