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視線を扉に固定したままの男とは対照的に、老人は扉を背にして深い闇を見つめている。
「まあ、今更かもしれんが、最後に話を聞いていかんかね?」
「……話?」
男がわずかながら興味を示したのを感じ、老人はおもむろに語り出した。
「新しい世界、とあんたらは言うが、世界というのはただ一つしかなく、それゆえに数えきれないほど多くあり、しかし実際にはいくつあるのかわからないものだ」
「何を言っているのか、わからない」
「だろうね。例えば、範囲の話がある。最近じゃあ、宇宙は我々のいるこの宇宙のみでなく、複数あるのだという説もあるらしい。世界と宇宙は同じではないが、宇宙が生まれる前にはただ無だけがあったという話もある。世界が『在るもの』だとするなら、無は世界なのか。それとも違うのか」
男は老人の横顔に不快そうな目を向けた。
「そんな話には何の意味もない」
「そうかもしれないな。あんたがそう思うのならね。だが、次の話をするのにまずそれを知ってもらわなきゃならなかったんだ。前提としてな」
老人は目を閉じ、静かに話を続けていく。
「世界はいくつあるのか、本当にはわからない。しかし、あんたが見てきた世界はたった一つだ。そうだろう?」
「……そうだ、そのとおり。腐った、醜い世界……」
男は吐き捨てる。老人は応じずにあくまでもゆっくりと語る。
「それは、人の目を通した世界。人にとって確かに存在していると言えるのはそれだけなんだよ。世界の見え方は人それぞれ、しかも他の動物ならなおさら見え方は違ってくる。世界とは、その数だけあるのだとも言える。だから世界は一つしかなく、だけども数えきれないほどあるんだ」
「……つまり、この扉の向こうには、新しい世界などないとでも言うのか?」
男は苛立った声を出す。そんなことは認めないとでもいうかのように。
「いいや、この先には確かに、あんたが見てきたのとはまるで違う世界がある。だが、知っておいてほしいんだよ。それがいったいどういうことなのかを」
「そんなことはわかっている」
「いいや、わかってはいない。戻ってこれないということの意味を。新しい世界があんたにとって今の世界以上に不快な場所だったら、いったいどうするつもりだ?」
「そのときはまた別の世界に行くだけだ。私の、理想の世界に……」
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