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彼の小さな声を聞き取った使用人は一礼して部屋を一旦出て行った。 やがて2つに増えた足音と共に再びノックが聴こえる。 いかにも自信に満ちた、浮足立ったような足音がショパンの耳に障る。 リストはいつも、そんな音を立てて彼に会いに来るのだった。 入って来ても目など合わせるものか。 心の内でそんな子供染みた誓いを立ててみる。 「やぁ、おはよう、ショパン」 「うん…おはよう」 使用人の存在などお構いなしに、屈託ない笑顔を浮かべてサロンに入ってくるリストに 思わず視線を合わせてしまう。 あっという間に崩れ去った誓いに、悔しさを感じながら搾り出したように言葉を返した。 「何かお持ちしましょうか」 使用人が口を開くと、リストは軽やかな動きで使用人に向き直り、にこりと笑う。 さっさと出て行けと言わんばかりだ。 「いらないよ、ご苦労様」 座ったままの主人に確認するような視線を向け、ショパンが軽く頷くと、 深く頭を下げて出て行った。 「朝から僕に何の用事?」 「あんまり体調良くなさそうだね」 「…否定はしないけど、質問の答えになってないよ」 サロンに二人だけになると、リストはピアノの前に腰を降ろした。 和音を軽く押さえて音を鳴らす様子を眺めながら、 ショパンはわざと不機嫌そうに問い掛ける。 リストは顔をこちらに向けて、伺うような視線を投げた。 「用事なんてない、君に会いに来ただけ。」 「…この雨の日に…?パリの人気者も随分と暇なんだね」 ショパンより一つ年下のこの男は、ショパンと並んで人気絶頂のピアニストとして パリに名を馳せている。 その一方で、色恋に関しては一回りも年長だった。 多くの貴婦人から想いを寄せられているのは同じでも、ショパンは内気な性格もあって 特定の女性と噂になることなどないが、リストといえば女性の噂に事欠かない。 そんな彼の愛情の対象は、どうやら現在ショパンに向いているらしい。 いかにショパンがそっけなく、出来るだけ冷たく、 感情を波立たせないように振舞ったとしても、少しもその一途な姿勢を崩さないのだ。
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