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「理由が必要なら作ろうか?」 何の未練もない様子でピアノから離れ、真っ直ぐにショパンに歩み寄る。 覗き込むように見つめられると、その碧い瞳に自分が映っていた。 普段の優雅なショパンはそこにはいない。 情けないほどに感情を揺さ振られている、小さな存在だった。 窓の外の雨は静かに降り続いている。サロンの暖炉に火は入っていない。 黙って見つめ合うことで、視線までも音になってショパンの頭の中に響いていた。 リストの目に射抜かれることが、苦しくなったのは、一体いつからなのだろう? 彼自身も分からなかった。 派手な演奏で大勢の観客を魅了するリスト。 小さなサロンで繊細な演奏を披露するショパン。 相反する二人は、友になり、同時にライバルになった。 お互いの存在を嫌という程意識させられていたのは当然だろう。 しかし、いつから、こんな風に、『意識』してしまったのか。 降り始めた雨の一粒目など、誰も気付かぬように、 いつどんな風に彼に対する感情が変わっていったのか、知る由もなかった。 いつの間にか雨は道を濡らし、木々を濡らし、街を濡らしていく。 そんな風に、リストはゆっくりと、ショパンの体へ、中へ、その存在を染み込ませていた。 「雨の日は、君に会いたくなるんだ」 「……どういう意味?」 「雨の日に限ったことじゃないけど…君が理由を欲しがっているからね」 一瞬だけリストが窓の外に目をやる。 ショパンもつられるように窓へ視線を移すも、 あんなに気に障っていた雨音が今は遠くに心地よく響いているような感覚を覚えた。 まるで意味のない戯れの如き会話を持て余しつつ、リストは手を伸ばしてショパンの髪を指に絡ませる。栗色の巻き毛はリストの指に遊ばれて艶やかに揺れた。 「あながち間違ってもいないけど。雨の日の君はいつもに増して綺麗だ」 「…言う相手を間違ってる」 彼に見つめられ、甘い言葉を掛けられたい貴婦人がパリには数えきれないほどいるというのに、それが自分へ向けられることに、ショパンは強い拒否を込めて精一杯の鋭い視線を投げる。
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