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「…ショパン」
短く呼ばれただけで過敏に肩が揺れる。
そんな反応にはまるで気付いていないように、指を髪から離し、今度は白い頬に滑らせた。
ひやり、と冷たい感触は、リストに神聖なものに触れている感覚を呼び起こさせる。
それが逆に、ショパンに抱く想いに重なって、無意識のうちに眉を寄せた。
微かに切なさが混ざったリストの瞳にショパンの研ぎ澄まされた感覚が痛い程に反応する。
青白い頬に熱が宿るのが、触れた指先からじわりと伝わった。
ショパンもそれに気付くと、慌てたように目を逸らす。
振り払おうとした手は動きが緩慢過ぎて自分の腕の重みでだらりと肘掛けに戻ってしまう。
乾いた喉で声を出そうとすれば、咳が込み上げてきそうで、一度唾を飲み込んで呼吸を整えた。
「ダメなんだ…僕は……見失いたくない…」
掠れた声が、いつも小さなショパンの声を更にささやかなものにする。
言ってしまってから、まるで意味が分からない言葉だと、羞恥を上塗りしたようで彼は口ごもってしまう。
色々と頭で悩み、思い廻らせた結果を、口にしてしまった。
言葉に出してしまったからには、リストの反応が怖くなる。
理解されなくて当然だと思う反面、分かって欲しいなどと勝手な考えも頭を過った。
「大丈夫さ。そんなことで…君は君の音楽を見失ったりしない。」
「え……?」
「もし見失うなら…とっくに俺は身を引いてるよ。
君のピアノにも、心底惚れてるから。」
よく目にする余所行きの微笑みではなかった。
リストがいつもショパンに向ける、微笑みだ。
ショパンが何に苦悩し、怖がっていたのか、彼には分かっていたようだ。
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